詩を高みまで目指そうという方々は、やはり詩が大好きで自分もそんな風になりたいと思う気持ちが強いのだろう。何よりたくさんの本を経験として蓄積し言葉を自然と使われるものですから、普通に考えても当前の成り行きなのだ。
しかし、自分はというと自分の言葉が好きであるために、ただ書いているだけなので、特に何か本を読むわけでもないし、好きと思ったところでさんざん追いかけてる人など、んまあ数名いるかどうかで。
誰かと切磋琢磨したいわけでもないし、それは確かに1人では寂しいし 聞いてほしいと願っているからここに書くわけだけども、
やはりその一筋の未知だけで生きていかなければならないのかと、それが正しいあり方であるかのような、不安に怯えてしまうのは私が、未だ一つとして形に作られていない迷いでしかない存在だから。
こうあるべきだと決めつけてしまえば、もしかしたら道は開けるのかもしれない。辛くてもその道を貫いていけば何か最後には形として残るものができるのかもしれない。
まぁ、今はこのグダグダの状態を色んなことをやっていきたいなぁとは思っていて、でもそれでは、全然成長はしないのかなぁとも思い始め
はっきり言って飽きている
だからこそ、続けられてると思う
終わりが見えてしまったら、やる気がなくなる人なんで、それが最後まで出来ていなくてもどうでもよくなってしまう。
自分で文句をつけながらも、これだけずっと続けてられるということは好きなのだろうと、こういううんちくを身に着せたくはない 自分がいます。
私はとってもチキンなので、強く見せるために来てるだけ
私として形を作るために、生きていく為に必要なものだと思っている。
毎日毎日が苦しいね、生きてくのが辛いかなと思う。
死ぬほどではない、唯何となく過ごすもやもやが、
手探りで応えを探して、
これが一番言葉として当てはまると思っている。
何か書こうとか思ってない、なんとなく出てきたものを言葉として配色していく、だから意味は問わない。意味をなすりつけることは嘘であるし、気持ちを汲み取る詩状では必要なのかもしれないが、これもまた自由に出てきたもので生成される衝動であると理解している。
なう(2020/06/04 13:51:57)
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