午後9時44分
大晦日です
ことしもまたこうしてゆるやかなときに巻き込まれ、此処まで来ました。
とてもそれは幸せなことでしょう、
思うようには行かない人生だからこそ飽きずに行きていけるわけだから。
まあどうしようもないことはたくさんある、
だけど特に立ち止まるような大きなことはなかった、
なだらかな坂道をゆっくりと、ときには焦りながら自分のペースで歩めた年だと思う。
長男が正社員で就職した、ボーナスももらえている、大なり小なりって考えたらきりがない。
私の選択ではない、だから彼がそれで好いと思えば、まあそれで充分なことなのです、
長女が高校に入学した、まあ第一志望は落ちたのだけど、
彼女は私立に行きたがっていたので結果オーライでしょう。
毎日部活にいき楽しそうに好きなことを学べ描き起こすことができるその、
精神をどうか大事に、さらに培って行ってほしいものです。
子どもたちがしあわせであればそれでいい、わたしが親として努めることはそれだけで、
それはたしかに自分の中に刻まれることでいちばん大事なことだから、ね。
すきなことをしている、相手を尊重すべき。ただそれだけなんだ。
相手が楽しければ、私も嬉しいぐらいでいいと思う。
思うようには行かない人生って、言い方を変えれば、それただのわがままだからさ、
すきになさいな。
ただこの場に、気負いせずに眠りにつける場所がある、此処に帰ってくる
それだけで充分でしょう。高望みはしねえ、どうせ手に余る、無駄に考えちまうからな
アホなんで、わいは、それでいっぱいいっぱいです。
それでも周りから見ればすごくおかしい家庭を築いていてさ、
それでも私達家族は幸せだと思えていれば
(すくなくともこれ以上の選択肢は見つからないから)
これがわたしたちの立ち位置なのでしょう。
とわたしはこれを満足とします。
っていうかさ、わたしの望みに希望として目指すべき
なにか、変えるほどのものを知らない、
理想論、
一般的家庭の幸せは、TV等で見るような、ことがらで
それは見知らぬことでしかなかった、身近なことにはならなかった。
むりして普通を目指したところで、くるしいだけだった、できなかった。
わたしたちはなにもわからなかった、
これがただしいのか、なにが必要なのか、傍観して眺めてしまえば
ほしいと思わない、
だけですかね?
一生懸命努めてそれが普通で当たり前にできることなことはわかっていても
くるしかったつらかった、って、なぜどうしてって不意に息切れをおこしたときに
相手はどうか知りませんけど。
むりだなって、わたしは頑張ることをすてました。
今がらくでたのしいとおもいたい、ってやっと自分のことだけを思った
それしか知らないしわからないことだから、まずは自分を信じ愛します
みなそれで充分だと常々歯車が噛み合いながら、信じたいものですが。ね。
後悔したところで過去には戻れないから。
死ななければなんとかなる、そんなふうにおもえている、
今
全部自分に決定権があって選択肢があってそれを選び取ったのは自分でしかない。
っていう責任だけは重々、忘れないように、思いながら手を抜いている楽な日日です。
そんな大晦日の夜です
今年はおきゃくさまがいらっしゃって、やはり年末はこうでないとねなんて、
おもって、安心している自分がいます。これがどこまで続くのか、
少しずつ変わっていくのでしょう。
その時の記憶として、行事や催事は欠かせないことなのだと、痛感します
記憶のタグを刻む、そんなところでしょうか。
なだらかに変化することがらを引き出すための、タブを打つ
このブログもそんな役割を持って続けられたらいいですね、
また来年こうして、ぐだぐだなブログを書けることを祈りますwww
ではでは良いお年を!!
午後10時21分
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