役割の終(泡沫蝴蝶の果て

 Twitterアカウントのひとつ泡沫蝴蝶をころします
 
ヨウチョウを止めた時に書かれていたように、もとは詞禽《しとり》という垢しかなく、それを泡沫蝴蝶《ウタカタコチョウ》、它翅《クチナワツバサ》の参ツに分けたことが始まり。
 そして違いが判らなくなって它と禽を一緒にしたものが塒とぐろ。
 でもその塒から分けたものが、杳窕《ヨウチョウ》(当時は它偲倶くちなわしのぐ)だった。

 泡沫さんはずっと容易い書き方をしていて、思ったときに何も深く手直しせずに思考のすべるままに書くスタイルととっていた。どうしても心にとめておけない吐瀉なんかも此処で置くことによって呑み込めずとも着せる感じでふぉろわさまに見せていた。
 ようは自分の中の吐瀉でしかなくてそれはとてもとても楽しかった。
 けれど最近沢山の言葉を並べ他のアカウントと言葉回しというか、言いたいことの使い方や湾曲した魅せ方を同じようにするすると現れるようになってきて、自分の中で何故分けてるのかわからなくなって、

 もとは愛とか恋とか日常のいらいらをコトバに乗せていたりもしたので、
 そういうモノが好きな方々が集まってきていたのでそれだけで満足だったのだけれど、

 最近の書き方でも反応頂いたりして、ならトグロのほうが綺麗だったりわかるような書き方をしてることに、(だんだん、書き方がチェンジしつつあることに気づいた)
 僕はひねくれているので反応を貰うと疑心暗鬼になってしまう。
 素直にこれで良かったんだって喜んでも、それは意味のないプレッシャーにもなるのか、また書こうと思えば思うほど苦しくなるし、結局嘘じゃないかって、考えて作られた自分のコトバやうわべに見える人の思いが、わからなくなるわけで、

 そうしてアカウントを分けていたわけだけど、
 なんかやっと気にならなくなったから。

 それは思考が滑るときに今まで苦戦して自分の思い描いた言葉たちの配列が、今、心に染み付いたようで、それがどの書き方をしていても私なのだろうって、やっとやっと理解してあげられる。

 詩の形態は人それぞれで
だいたいみな、一つの形式をとっているので、私みたいな、分けた書き方をしていると、なんか寄り付きづらいかもしれないとか、いろいろ思って(自分の中でもその評価の差がはっきりと見えるのが辛かったから)アカウントがここまで増えたわけだけどもwww


 私の書きたいように書けばいい。
中身はいつでも私でしかなくて、

 でも詩というものは、コトバだけではなくて
視界に見えるエズラも、人の好みがあると思って
 それはどれもすてきなもので、

 言葉の奇天烈さや素敵さより
配列のマジックなのだろうなって思うから。

 その瞬間に心をつかめるかどうかなんだ。
でもその出会いは偶々でしかないのよ


 深くかかわることは大変怖いチキン野郎なのです
 心では本当にありがとうございますと毎回唱えるけれども

 僕は自分の言いたいことを確実に見せたいような書き方もしていないし、そもそもそんなものは曖昧でしかなくて、この言葉を使いたいとかこうしたら面白いなとかそういう、答えの出ない遊びを余白を与えたいから、真っ直ぐな言葉は僕自身が馬鹿なので出てこないので。

 そういうの恥ずかしいしそんなもの私から言える立場でもない。まあそういう書き方は好まないってだけなんです、だから書けない。

 説明不能なものを書いている、
これでいいんだろうって思いながら理解できない自分自身から出た言葉をなぜだか上手くできたとかいいねえって、自己陶酔しながら。これは、遊びなのだろうな。
真面目に書いてる方々に申し訳ないが、これが私のスタイルなんだよ、ごめんね。

 今自分の書き方はどうあれ、自分が書いているとやっと自覚して納得して出せるようになった。

 ちょっと意味わかんないと思うけどそんなわけで、アカウントを統合することにしたのです。

 これでやっと初めのころみたいにアカウントはいっこになるんだなあって思いながら、笑っています。がまだまだアカウントありますからそれはそれで( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

 さて、タグを使って書いていた文章はこれからもトグロで続けるので、とりま泡沫蝴蝶としてはTwitterは止めカクヨムは新しく建てようかと思います。

気持ち切り替えてなんてそういうの要らないから、
とにかく楽しく書くゾ
それだけをずっと思い続けられたらいい
何事にも囚われずに、楽しく行きたい

なう(2020/08/29 16:54:07)

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