なう(2019/12/15 23:52:16)

毎日毎日馬鹿みたいに言葉を落としていくけれど、果たして何の役にも立っていないということに気づいてはいるのです それをね、満足というもので、包んでしまえればいいのだけれど、結局は何も考えてない、思いついたままの吐瀉で それでその瞬間も後でも気持ちよくなれれば良いのですけれど、なかなか難しい。
これは失敗だったなって思うことあんまりなくて、まぁ誤字脱字は許せませんけど、何書いてるかさっぱりわかんねーってちょっと考えれば辻褄が合うものです。
それが本当であるかどうかなんて自分の内面もよく見えてはいないのです。これを書こうと思ってなんら言いたいこととか考えたことがねぇので、まあ、要は全て後付けなのです。
というかね、その瞬間しか本当なんて分からない。
例えばなんか否定されたとして、言い訳したりとする。その瞬間、了と思って世界に放たれた言葉や思いや行動は後悔という名の否定に変わる。
なんだか可哀想だね。
その過去の問題。
一つ一つの行動にすべての理由は定まる、普通ならばそこで、あー楽しかったねとかよかったねとかごめんなさいとか色々あるとは思うのだけれどそれで時に流されてしまうものなの。
だけどね、いつまでも引きずることがあるでしょう、自分であれ他人であれ。そうして理由を考えるのだけど、それを知るすべがなくて、すべて過ぎ去った痕を恐る恐る眺め見る。要は振り返るわけだね。だけど、今は常々移り変わっていくものであるから、さて、本当とはどこにいってしまうのか。
双方信じてしまえばそれでハッピーエンド。
メリバかもしれませんけど今は流れて連れ去られても、今に置き換わるだけ。
前置きが長くなりすぎたけど、
ようは信じる心をください。
何もかもが信じられないのは、なんでなんでしょう。他人の視線が恐ろしく感じられるのも何か上辺の言葉とは違うなにかを企んでいるのではないかと、汲み取ってやらなければならない。
どこまでも際限なく思いつめてしまうものです。
ごく普通に当たり前に考えすぎと思われるような、こんな事象も名前がついてしまうんですよね、残念ながら、普通にはなり得なかったようです。
普通の基準というものが知りたいのです。
それぞれ人の顔色というものを伺って生きてる生物でございます。当たり前の基準というものがあれば簡単とは申さないけど、合わせることができるのではないかと作り笑いして、美味しいご飯を食べに行ったりできるのではないでしょうか。自分が辛いなと思うことに対して、お断わりを掛けながらも、相手が嫌な心にならない程度で浮かないようにセーブできれば、などと思うのです。
普通というものは、テレビでやっている基準で考えれば良いと、信頼における子は申します。それが広まるから、それが当たり前だとそれが普通だと満遍なく世界に染み込んでいくのでしょう。
今まで生きてきてずっと自分が普通だと思い込んでいた。みんな何かしら苦痛に思いながら生活して世界は生きづらいねってそれでもみんな我慢してるから、生きていけるんだと思っていた。
誰も教えてくれないし、知るすべもなかった。私も当たり前はそこだったから、ただの無知だったんだよ。そうして、私は社会からはじき出された。どんなに思い込んでも、やはりボロは出て異端だったからね。
やはり生きづらかったのでしょう。だから自ら楽な方に自由にいけるように自ら道を踏み外していったのでしょう。
最近やとスルースキルを覚えて、少しずつ楽になっていく。仕事中に困ってる人とか無駄に手伝ったりとか先だけのことまで考えて手を回したりとか、自分の効率よりその先の成果を見てしまう。全て全て自分のお節介で今までそうやって散々苦労してさ、なんかできる人みたいな風に思われる。
とても疲れてしまう、やっとその気持ちに気付けたところ
なんて言ったところで、ただのパートですから、しょぼいものです。社会の歯車に回る、私もちっぽけなギアになれますかね。
また1人ばかりが苦しいわけじゃなくて、世の中全部息してる人全ての人々が本当は息苦しさを覚えながら、それでも笑顔で友達や上司と呼ばれる者に対し共感したり、自分の時を潰してんで人と合わせたりするそれが当たり前なのだとみんなやってるもんなんだと思っていた。
世界が狭すぎたから差がわからなかった。見ていなかった訳ではない、疑問にならなかった、ただの思い込みなんです。
でも結局アホですから離れていきますよね。
誰も否定しないけど、みんないなくなった。
答えは如実現れていて、気づくことすらできなかった。今でも悪いとは思っていない、人間関係の破綻の問題。
誰かに何かをがみがみ言われたとか、そういうのはない。
だけど、周りと違っていることはわかっていた子供時代の家庭は、そりゃ口にするのも恥ずかしいぐらいの勢いです。まぁ、金が無いことは分かっていたので、表札や布団を騙されているような、そんな寂しがり屋の人でしたから。性格的に言うと、今の自分にものすごく当てはまると思うのです。
ただ、満たさすべが今ここにあるので、お金はかからなくて済み、モノもかさみません。
ただ、同じ道を進むのかなぁとは思いつつあります
騙されることは人を信じなければ、あり得ない訳で、良いも悪いも知らなければいい訳です。人の話を聞かないとはよく言われますけど。そんなもん、責任は負いたくねーし、誰か被ってくれるのかい?そんな方がいても申し訳ねぇよな。なんてしもてに出れば、いつかは救われる気がするからよ。
俺の事、少しなりとも哀れんでくれよ。
お恵みをくださいなんて言ったところで、その人の好意すら疑ってしまうのですから、仕方がございません。果たしてどこまで人を信じていいのか、もう本当にわからなくなった。
誰も信じられない正直な言葉すらうまく伝わるかどうかも怪しい。そう考えれば、全部私が悪いのです。
そりゃこんな気持ちになっていたら気づいてしまわれますよね、あっごめんなさいって言って本当の善意すら自ら拒否してしまう訳で、原因を自分で作っていく。みんな私に振り向かないのは哀れんでもらえないのはそりゃそうですよ、こんな気持ちの悪い性格も最悪な生きてく価値のない私に振り向く人は誰もいない。
助けて欲しいから、ここに書いているんだけど、誰の手もいらない。私なんかで時間を潰してほしくもないし本当に助かる気もしない、申し訳ない気持ちしかない。
何においても罪悪感が先に立つ
放っておけば治ると思ってんのか、それともどうでもいいのか、大したことないと思ってんのか答えは、未来だけが知っている。まぁ、人間いつかは死ぬんだ、勝手にするさ。
この考えをきっと2人とも思っているのでしょう
似たもの同士、だから、平行線なんだよ、よく知っている
なんて思ってるのは私だけなんだろうな
大事なものを抱えてるうちは大丈夫、あと5年持てばいい
どこまで赤裸々に書けるかなって思うけど、これが限界かしら。だって結局未だに信じているのだから、バカみたいだけど、まだ好きみたいです
助けてほしいと今でも思っている
人は独りでは生きていけない、嫌な思い出も好きな形でも心に残っているから、孤独にはなれないのだ
なう(2019/12/16 00:41:09)


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