二〇二一年九月七日午前七時五分、長男の一九歳の誕生日です。
今日のこの日を迎えられたことをとてもありがたく思います。19年も経つのかと思って、ちょっとビビっています。
長男が身ごもる前に早期切迫流産で亡くしているので(とってもあればまだ子供とも言えない周期でしたけど)ですから、長男が授かった時も早々に、切迫だなって思ったので、少々あきらめ気味でびょういんにいったんですけど、そこでまだきみが頑張ってることを知ってさ、うん一か月だったな?入院したんだけどね。
あれから19年以上もたつかと思うと、いろいろ思うところがあって、泣いちゃいますね、ははは!!!
過去はね、もう変えれないものであるからどんな後悔も意味がないからさ、振り返らないで生きたい。もう取り返しのつかないことを私はやったので、いつ呪い殺されてもいいと思って、自分の人生は極力楽しめそうがない。
なんていいながら、毎日Twitterに常駐しています笑
いい御身分ですね、わたし、だんなの給料で生きて要ってます、これは確かに普通で考えたらおかしいのでしょう、(深くは語れませんけど、)わたしはこれでいいと悟っている、わたしは母親として一家のおんなとして、まったく、しごとを果たしていないことは確かでさ、普通と言われる、家庭的な主婦にはなれるわけもなかった(すまん!!!)
許されてるなんて、甘い事思っていいのかどうか、わからないけど。ありがたいとおもっている、この出会いこの家庭、この子供、そしてこのだんなに出会えたことをとても、有難く、偶然を感謝するしかないのです。
狭い世界に生きてきて、こうやって人並みの(なのか?)しあわせをおもてむきでもいただいたこと、わたしみたいなものを選んでくれたこと、ぐうぜんであっても、なくても、今ここに私たちがいることは確かでさ。
育んでなんて、よそよそしく嘘くさい言葉では言い表せないけど、ここまできた!!!
それだけはほんとうのことです、どんな理屈や紆余曲折があろうと、ここまできた!!!
ありがたいとしかいいようがないなんて、言葉で濁しながら
適当に生きています(爆)
ひととしておやとしてかぞくとして、最低なラインを踏みつぶして生き恥を見せつけています
どうか、どうか
怨んでもいいから、さ。
私以外の家族が幸せだと思って、さいごまで行けますように、願っています。
意外と爺様が長生きしてるのが、驚きですけど((;´Д`A ```)
まあそれも含めて、平穏無事、と言わせてください。
我が母親には誤っても謝り切れないことをしたことは確かで、らくなほう、らくな方へと流されていく、それが私として形成されたいままでを主(つかさど)るんだ。でもきっと過去に戻れるとしても、何度繰り返しても同じ選択をするであろう懲りない、私がいると思います。
まとめきれないね、いつか子供達には語らなければならないことがあるが、それはそれ。
兎角きょうのこのひを迎えられたことを感謝します。
彼の行きさきに、しあわせがありますように、どんなこころざしでも後悔することのないように、自分を信じて貫いていってほしいものです。家族とか家庭とか繋ぐとかどうでもいいから、
かれがおもうように、生きて良ければ、よろしいのだと母は知っていますから。信じています。
2021/09/08 00:01:17
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