日々のつらつらを解放して 置いている2020/10/11

 作品は結構素通りして見られたりするけど、 語る言葉は結構目に引っかかるみたい、作品だけを読みたい人って確かにたくさんいる。そういう、作者の日常なんてもんはいらないんでしょう。

 

 なんてつい最近までそんな感じでしたけど どうでもよくなりました。

 人の思いなんか 考えて 呟く 所じゃないよ、Twitterは。読みたい人が読んで 嫌になったり飽きたりしたら さようなら。また、ご縁があるといいですねって それだけで。わざわざ繋ぎ止めるような 自分を曲げるようなことは いちいちしなくてもいい。交流を盛んに求めてるのだったら、また別ですけど。自分の 好きに しています。

 ただのつぶやきだからさ、本人的には。

 作品とか作者とかそんな大層なものじゃない

 ただの一個人の掃き溜め ただの吐瀉

 日々のつらつらを解放して 置いているだけ

 どうぞ ご覧くださいませ(⋆ᵕᴗᵕ⋆).+*ペコ

 人それぞれ考え方が違いますから 合う合わないは絶対あると思う。その一言で急に嫌いになったりとかもよくある。140の表面世界でしかないから 心の中は見えない。だから さらっと流して ゆるっとじっと やりたいものです。

 わりとその時まで普通にリプとかしてて 急にブロ解されたりとかありましたけど。最近は誰にもリプは繋がない。裏ですら空リプが多い。2人だけの会話なら別に構わないんだけど、他人から見えてしまうのはすごく嫌だ。それによって新たな私が勝手に見えてくる、その一瞬の140の言葉によって勝手に。

 プロ解は割といっぱいする。確実に自分を見てほしいだけとか いいねの方向性が全然違うとか なんか悪影響を及ぼしそうだなーとか、そういう勝手な気持ちで わりと軽い感じです。

 フォローってさ、別にそんな重いもんじゃなくて、いつも見せていただきます位の通知 挨拶。だから何度でも来て構わない。自分の存在を知らしめたくなければ、リスト鍵から見ればいいだけの話なんだ。

 そうそう、ここでしゃべりはじめは、とんとんとフォロワ減ったけど、落ち着いたら、だまって作品だけあげてた頃より、反応はいいかもしれないね。

 初めの頃はさ、文字だったらなんでもすごいなーと思って読んでたんだけど、だんだん自分の好みが分かれてくる いいね貰えばやっぱり嬉しいからさ、フォローしたり返したりするじゃない?で、どんどん膨らんでいったよね。そのうち申し訳ないなぁって思ってもブロ解もできなくてずっと見てたのが 禽。

 禽で活動してたのはたった1年だった。そういう意味で蝴蝶が一番長かった。ある程度フォローを減らしたら多分また喋り始めると思う、そういう気です。あとで確認したいとか消したくないとか、そういうのあるでしょう。誰かに見せたいとかは特にない。消すに消せないからまがいを活用しようってだけです。自分の遍歴は簡単には消せないモノです、だって軌跡ですから、今がある以上過去があるからね。もったいないや、けっこうわらえるけど後悔はしていない。

 片隅で事足りる満足で括れたら私の終わりなんだろうなって思ってる。

 もういいやってあきらめて、惰性を愛するようにはなりたくはないものだ。

 ずっと悩んでいたい、ばかだから同じことを繰り返してもたのしい。応えも糸口もない自分自身の葛藤でいい、安心の中に光はあるのかわからないけれども。ただたのしい気持ちに準じていきたいものです。

 いいねっていう結果に左右されて 自分で好きであったはずの 唯一の心を現した言葉なんて、結局結果が怖くってどこかに消えてしまうんだ。

 なんて、誰でも躓く壁であるけど……

 自分が一番読みたい 吐き出したい言葉を忠実に 、今納得して出せるようになるまで、ここまで来るのにどれだけかかっただろう。3年か。まあ随分変わったか、

 いいねが来れば嬉しく 反応もなければ苦しく、そりゃあ当たり前の感情だろう、だけどどちらにしたって自分の好きに書いたことには変わりがない。インプレッション見るとすれ違った数は変わらなくて、まあそれが減ってれば単純にその瞬間に人がいなかったんだなとわり切れる。

 結局なにを思ってもその瞬間に触れるか、ただ好みの問題だろうって思えるはずだ。

 私が好きでやることは変わりがない、でも今でも躓くし悩む。根本自分の好きを表してるってこと忘れねえようにしねえと、まったく初心を忘れてはいけないね。

 それはコンテストとかでもそう、所詮選者さんに響かなければ何の意味もないのかもしれないけど、もっと認められたければそれは周りに併せ準じていくことで、それが自分を磨くことでもあるから、それで自分の自信につながったり変わっていくことを、恐れずに楽しめるのならばそれが、一番当たり前のひととしての在り方で、普通の感性ではそれを成長と呼ぶのだろうけど。

 私はいまこれで満足しているからそれで、十分で。たしかに悔しい思いはある、でもだからといって場に沿って変える気はない。それで入っても期待されても、私の中から作られたものであっても、私を見る目がそれでかたまるのは嫌だな。と悟った。

 最近はまた自分の中でいろんな書き方が増えてきて新たな感じで楽しめているので、飽きないですね。この世界は、とても楽しいです。

 シコンでもココアでも思うけどいろんな作り手の感性が見えて、たのしいですね。沢山の人が集まると賑やかでいい。ただ仲良くツイをしている、そのひとがらとしてのいろんな言葉が、まして、詩に影響を与えているだろうなあ、とは思うけれども、それは好きではないのだけれど、まあひとはひと自分は自分のスタンスでたのしめればいい、つぶればいいって、簡単に思えるようになったので、らくでありたい、とそれだけを思っている日々です。

 どうしたって見えてしまう結果に左右されることなく、自分の好きを思い、好いてくれる方を大事にしつつも、話しかけることはないですし既読のようにいいねすることもないですが、

 いいねが来たから気付いてくれるとか、おべっかのようにいいねを返すとかそういうのが嫌いなので、本当にいいものに出会ったときはやったーって思います。

 出逢いはぐうぜんでありたいと思っている。だから本当にとてもありがたいことだとつくづく思うこの頃です。

他の誰でもない自分自身に言い聞かせてる。

すぐグズグズに迷うので

これらは自分への縛りに過ぎないのです。

ただたのしくだけおもいたいのです

今はそれだけでいっぱいいっぱい

満たされて 言葉 溢れている

なう(2020/10/11 20:06:16)


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